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2014年7月18日~2014年7月21日 Kさん

札幌に母子避難をして、もうすぐ3年になります。
当時2才だった息子は、幼稚園の年長組になりました。主人は仕事のために福島で働いています。

毎回、千歳空港まで見送りに行きますが、泣くのは主人でも子どもでもなく、母子避難を決めた私自身です。

子どもを被爆させることなく、家族一緒に暮らしたい。
こんな事故前は当たり前の普通の事が、原発事故後はこんなにも普通生活が遠く、遠く、願っても願い続けても実現しない、今では夢になってしまいました。理不尽な原発事故、家族一緒に暮らせない現実、いろんな思いが込み上げて、見送りながら泣いてしまう私の涙を、息子はいつも両手で力いっぱい拭いてくれます。今回は18日の夜に主人が札幌にきて、21日の朝に福島に戻りました。3泊の間札幌市内の川で川遊びをして、西区にある三角山に登りました。
写真は三角山に登る、父と子の後ろ姿です。息子は父親がくると、朝起きてから夜寝るまで片時も側を離れません。
いつも短い間しか一緒にいられないことを知っているので、精一杯父親の側にいたいのです。
息子は気管支が弱く、福島に帰省すると、痰がからむ咳が始まり発熱を繰り返します。
放射能の影響はわからないことが多く、何も症状がなく平穏に福島で暮らしている人が多いのが現実です。
でも、すべての人が大丈夫ではないのです。100パーセント大丈夫なのではなく、ごく少数でも持病が悪化したり、何らかの症状がでたりして、帰りたくても帰れない子ども達がいること、母子避難の生活の中で会いたくてもお父さんに会えない子ども達がいることを、多くの人に知っていただきたいです。二重生活の上に、会うためだけにかかる交通費は家計に重くのしかかり続けています。このようなプロジェクトの存在は、大変心強く思います。ありがとうございました。

2014年6月12日~6月15日 参加のT様より

6/12~15にパパが札幌に来ました。こども3人はひそかに嬉しそうです。全員男の子だから、そんなに顔には出さない

け れど(笑)。震災直後からパパ以外の家族は関東から北海道に避難しました。当時は末っ子が小学1年生。放射能による健康への影響が怖かったのです。残った パパは関東で仕事があるため、会社近くの小さな部屋に引っ越し、一人で暮らしています。携帯電話の家族通話無料のおかげで、毎日時間の許す限りパパと話す ことはできるけれど、どれだけ声を聞いても埋まらない寂しさは、家族全員が感じていると思います。パパも電話の最後にはいつも「また会いたい」「一緒に暮 らしたい」と言います…(涙)パパは12日に仕事が終わってから羽田空港に向かい、夜遅くのフライトで札幌に着いたのは夜中。帰りの15日は朝早く出発し て、午後には自宅で翌日の仕事の準備。いつもそんな感じの日程で帰省します。中2日しかありませんが、それでも会いたい。たった2日…なんて短いのでしょ う(泣)飛行機代は高いけれど、どうしてもパパとこどもを、時々は会わせたいのです。この2日間、上の子二人は部活があり、残念ながら今回はみんなでおで かけなどはできませんでしたが…ちょうど北海道神宮祭の真っ最中だったので、パパと末っ子は中島公園へ。パパとお祭りを歩けるなんて何年ぶり? 出不精の 末っ子なのに、この日は嬉しそうに出かけました♪写真は、電車を待っている末っ子。こんななんでもないシーンなのに写真を撮ってしまうパパ。そんなふう に、息子に会う一時一時を大事に過ごす2日間でした。交通費支援、ありがとうございました。

 

メッセージ(10111213 

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