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2013年11月14日~11月20日神島さま

母子避難を初めて2年を過ぎました。
子供を含めた賠償金も底を付き、かき集められるだけのお金は全てかき集め実家の親にお金を借りて暮らしています。
幸い、主人が福島で仕事を続けているので収入が減ったりはしていませんが2重生活、子供が父親と会える環境を

作るのにはお金がかかります。毎月の交通費も考えると、今までの生活にプラス8万円が掛かっています。
お父さんに会いたいプロジェクトを知り、利用できる事になって本当に嬉しかったです。
これ以上避難生活を続ける事は金銭的にきついため、来年3月、子供の幼稚園卒園、小学校入学のタイミングで福島に

戻ることにしました。状況は以前と比べれば良くなってるものの、まだまだ安心して子供を外に出せる環境ではあり

せん。でも、こちらの支援のお陰で一番大変な時期は避難できた事を前向きに考えることにします。
そうでなければ、家族の絆、子供の心、経済維持が出来ないのです。
本当はずっと子供にとって安全なところで、家族揃って暮らしていきたいです。

 

 

 

帰ると言う決断・・・

まだまだたくさんのメッセージを頂いています。こちらでご紹介したのはほんの一部に過ぎません。

母 子生活の苦悩から帰ると言う決断をされる方は当然ながら少なくありません。避難のお手伝いをさせて頂いたことから、私のもとへもそうした連絡を頂くことが 多々あります。このご家族はみんな地球の子どもじゃんで避難されました。問い合わせからお話しをしていますのでとても印象に残っています。お腹の中に子どもさんがいたことから北海道へ移住する決断をされました。難しい妊娠でしたので当時、許可や住宅だけでなく、出産のための病院を手配したりと苦労をしました。それでも無事に北海道で出産され、命の誕生を喜んだことは忘れません。そしてそのお子さんにつけられた名前を聞いたとき、ご両親が込められた想いを考えると、涙が止まりませんでした。安心できる土地で出産、子育てと母親一人で頑張ったものの、福島へ帰ると言う決断をされたのです。悩まれた末での決断です。

私は・・・移住を悩まれている頃からのことを思うと事故を起こした当事者や国の支援策に怒りを感じます。ただ・・・今この瞬間、家族の時間を必要としている人がいる。当たり前の日常のはずの家族の時間を過ごすことが出来ない人たちがいる。だから続けます。

ひとり、ひとり、またひとりであってもそれを続けるほかありません。みんな地球の子どもじゃん 木村

メッセージ(10111213 

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